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「楽しさ」の源流 [日記]

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新緑が眩しい季節。桜の花が散った今くらいの季節の若葉の柔らかい緑色は本当に好き。仕入れに行く時に通る、多摩丘陵のこの道にも若葉がいっぱい。桜が満開の時期よりも、個人的には、この若葉と桜のバランスが取れている風景の方が心に染み入る。

桜の代名詞的存在である「染井吉野」の花があまり好きでなくなったのは、京都の桜守、佐野藤右衛門の言葉に触れたから。正確に言うと、何となく感じていた「桜」に対する違和感の元を、桜のエキスパートである佐野氏に正確に教えて頂いた、という事。

知らなければ気楽に楽しむ事が出来た物事も、事実を知ってしまう事で考え込んでしまい、気軽に楽しめなくなってしまうという事は、染井吉野の例だけでなく、きっと他にも色々存在するだろう。そんな理由もあって桜並木や、桜の木が沢山植えられた場所にはやや不感症になってしまった自分だが、別に桜の花自体が嫌いになってしまった訳ではない。移動中の車内から、新緑に混ざって淡い薄紅色の花を開いている雑木林で自生している桜を見かけたときや、風景に自然にとけ込んでいる桜の花を見かけたり、あたたかな日に、お花見の名所とされている場所でなくても、木の下でゆったりと人々がくつろいでいるのを見かけたりすると、心が和む。

最近、自分にとっての「喜び」や、「楽しさ」の源は何なんだろうか、という事について考える。もちろん単純に、ストレートな「楽しさ」を感じたり、美味しい物を食べて「喜び」を感じたりする事は有る。店で物がたくさん売れて、数字が伸びれば単純に嬉しい。でも、もっと掘り下げて自分の心を覗き込んでみると、さらに深い「喜び」や「楽しさ」には、そこに至るまでの「苦しさ」であったり「失望」であったり、「悲しみ」や「挫折」などのネガティブな感情も絡み合っている事に気付かされる。しかし、その事実は決してネガティブにとらえるべき物ではなく、そういった「負の感情」が絡んでいるからこそ感じ取る事の出来る種類の「喜び」や「楽しさ」というのは、確実に存在すると思うのだ。逆に、「負の感情」を味わったからこそ、些細な事に「喜び」を感じたり、今までには無かった要素に「楽しさ」を感じたりするのかもしれない。じつは「喜び」や「楽しさ」の源は、結構身近にゴロゴロしていたりする事に気付いたりもする。

歳を経ていく事の喜びの本質は、この要素が大きいのではと思ったりする。誰かの下で仕事をしていても、自営で仕事をしていても、生きていれば上手くいかない事や不安な事だらけで、孤独を感じたり周囲にいらだったり焦ったり、失敗して落ち込んだり、そんな事だらけだ。自分もそう。でも、その時感じた負の感情と向き合う事で、より深くて繊細な「喜び」や「楽しさ」に気付くのだと思う。それに、何か結果を出す為には、その過程で苦しんだり、孤独を感じたり、もがいたりしなければならないのは当然の事。そんな努力もなしに達成できる目標なんて、達成しても大して嬉しくないかもしれない。歳を取り、様々な経験を深めるごとに、「喜び」や「楽しさ」もまた深まって行くのだろうと。こんな事は単純に言うべきではないかもしれないが、「悲しさ」や「苦しさ」も大切な感情なんだと思う。ただ単に「喜び」や「楽しさ」だけを追求していても、いつか物足りなくなってしまうのだろう。

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あまの

なんだか歳をとることも悪くないなって気がしてきました(笑)
「悲しさ」「苦しさ」と比例するかのごとく確かに「喜び」「楽しさ」の深みを知る日々です。
新緑の柔らかい緑を感じれるように、体の中に、心の中にたくさんの引き出しを作っておきたい。

「染井吉野」、興味深いです。
検索をかけるかは迷っていますが、昨年は最悪最低ネガティブな気持ちからひかれるように桜を見ずにはいられず毎日のように昼、夜見に行ってしまったことと関係しているような気がしてなりません。
本当に桜が美しく、離れることができなくなってしまったのです。
今年は確かにきれいだとは感じるのですが、切なくはありません。
不思議な気がしていました。

「陰」と「陽」 バランスですよね。



by あまの (2010-04-19 22:52) 

hara_taka

本当に大変な方もいらっしゃるでしょうから、安易には言えない部分も有りますが、20代の頃から、歳を重ねる事に対するネガティブなイメージは不思議と無かったんですよね。悪くないと思います。理解できる事が増えて行くし、自分でできる事も増えて行く。面白いです。

染井吉野、もちろん別に染井吉野が悪いのでは無く、人間にとって都合が良い、という理由だけでどんどん植えてしまうその感覚がちょっと嫌なんですよね。本当の「桜」の木の力強さや美しさに気付きにくくなっているのでは、などと考えてしまいます。自然に近づいているような振りをして、逆に遠ざかってしまっている様な。

光が有るから陰ができるのだし、陰の存在が有るからこそ、光の眩しさを実感するのでしょうか。そのとおり、バランスだと思います。


by hara_taka (2010-04-23 23:01) 

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