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インプット、アウトプット [日記]

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先日久々に上野へ。お目当ては「写楽」展。平日午前中だったが想像以上の混雑ぶりに心が折れそうになりながら、それでも興味深く見てきた。実際に足を運んでモノを見ると、肉体感覚として体に入ってくるからいい。そして所有するとさらに体に入る。商売として扱うモノも実際に一度購入(仕入)する訳で、未開拓の分野のモノも所有することで自分の中に入ってくる。そうすることで分かることは想像以上にたくさん有るような気がする。商品として扱うモノならばそうやって自分にインプットする目的は明確だ。では写楽の作品のような芸術や美術とされているモノを見る、その目的は何だろうか、と考えていた時期があった。

結論から言うと、全てのインプットは、アウトプットの為だと思っている。アウトプットと言っても大げさなものではない。要は自分の日々の生活という意味だ。生活や仕事、商売、モノとの付き合い、他者との付き合い。何の為に芸術と呼ばれているモノを鑑賞したり、映画を鑑賞したり音楽を鑑賞したりするのか。さらには人と会って食事をしたり酒を飲んで会話を交わすのか。古い物を仕入れたりそれを売ったりするのか。

全ては日々の自分の行動の原理を構成する要素を増やす為。なぜ要素を増やすのか。より多くを理解したいから。なぜ理解したいのか。より他者やモノと真摯に向き合う為。なぜ真摯に向き合うのか。それしかより良い社会を目指す方法が分からないから。

ちょっと大げさになってしまった。でも究極的にはそういうことだと考えている。まあ、そこまで大きな話に広げることもないが(笑)、やはりただモノを見てなにがしの感想を持つだけでは意味をなさないと思う。というか、物足りない。その感想から自分の価値観を更新せざるを得ない何かを見つけ、絶えずその作業を繰り返す。そういう前提でしかモノを見ることが出来なくなってきた今日この頃。その更新のヒントを与えてくれるモノしか見ていて「楽しい」という感情が沸き起こらなくなってきたと言ってもいいかもしれない。それは時にはずっと変わらず続く何かであったり、新しい何かであったりもする。

インプットしたら、それをいかに自分のアウトプットに反映させるか。
いかに自分の日々に反映させるか。
それを考えること、辛い時もあるが、やはり楽しいものだ。

写楽の浮世絵が自分のアウトプットにどう影響するのか、それは今はまだ分からない。とりあえず直に見たという事実、何をどう描いていたのかを、ある程度理解したという事実があるだけだ。それでも見ていない時に比べると、確実に自分の中の何かが変化しているわけで。時間が経ってなにかがアウトプットに反映されるかもしれない。何かを理解する欠片みたいなものは掴んだはずだから。その日を楽しみに待っていようと思う。

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