とあるマグカップのこと [日記]
2012年スタート致しました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。とりあえず年明け、昨年末頃に考えていた事などからブログをスタートしようかと思います。
毎朝朝食時にはコーヒーを飲みます。時には豆を手挽きのミルで挽いて。冬のある日、気づいたら最近ずっと使っていたマグカップは、あんまり好きとは言えない、以前から家にあったカップでした。元々そんなに自分が使う道具に対するこだわりは強くないのですが、その前に使っていた、インテリアショップで売られていたちょっと気の効いたデザインの物が割れてしまって、まあ言ってみれば仕方なく、至って消極的な理由で使っていた訳です。
「買い替えようか?」なんて家族に言われて、ふと考えました。「どっちかっていうと嫌いなマグカップ、おれ、気付いたらしばらく使ってたなあ…。別にそんなに嫌いじゃないのか???」。そこで改めてそのカップをじっくり見てみました。
毎朝朝食時にはコーヒーを飲みます。時には豆を手挽きのミルで挽いて。冬のある日、気づいたら最近ずっと使っていたマグカップは、あんまり好きとは言えない、以前から家にあったカップでした。元々そんなに自分が使う道具に対するこだわりは強くないのですが、その前に使っていた、インテリアショップで売られていたちょっと気の効いたデザインの物が割れてしまって、まあ言ってみれば仕方なく、至って消極的な理由で使っていた訳です。
「買い替えようか?」なんて家族に言われて、ふと考えました。「どっちかっていうと嫌いなマグカップ、おれ、気付いたらしばらく使ってたなあ…。別にそんなに嫌いじゃないのか???」。そこで改めてそのカップをじっくり見てみました。
感情の振り子 [日記]
松島の観光船はカモメと一緒に進んでいくのです。
感情は振り子みたいなものだな、と最近ずっと思ってる。正の感情と負の感情の振り子。喜びや楽しさと、苦悩や悲しさ。片方のみを知るのでは無く、両方を知る(知ってしまう)という振り子のバランス。より深い喜びを獲得する為にはより深い苦悩が必要なのではないか、より繊細な悲しさを知る人はより繊細な喜びを知る人なのではないか。とか。
南八ヶ岳縦走 [日記]
10月の19日と20日、思い立って南八ヶ岳に行ってまいりました。小屋1泊の行程。男4人のメンバーです。
立川に7時集合でおんぼろボルボ240で中央道を西へ。諏訪南インターで降りて、赤岳山荘の駐車場に車を置き、美濃戸口から歩き始めです。
立川に7時集合でおんぼろボルボ240で中央道を西へ。諏訪南インターで降りて、赤岳山荘の駐車場に車を置き、美濃戸口から歩き始めです。
センスがいいとか悪いとか [日記]
こんにちは、原でございます。暑い日が続いておりますが皆様いかがお過ごしでしょうか。最近中村にブログをまかせっきりにしてしまってまして…。久しぶりの長文日記です。
どこのご家庭にもありそうな、実際結構な確率で存在するであろう木彫りの熊。ご存知、北海道の民芸品。仕入れ先の市場でも本当に良く見かける。海外では需要があるようだが、日本国内で中古での需要はほとんど無いらしい。でもたまに「これは!」とグッとくる熊がいて、連れて帰ってくる。この2頭も個人的なお気に入り。基本的に動物モチーフ好きなので、この手の熊だって見逃さない、いや、見逃せない。店頭ではやはり基本的にはほぼノーマーク状態なのだけど、たまに反応して下さるお客様がいらっしゃると「わかってくれて嬉しいっす!」って感じで本当は抱きついてしまいたくなる。もちろん我慢してるけど(冗談ですよ。ご安心下さい)。
センスがいいとか悪いとか、人は時々口にするけど、その本質はどういう事なんだろうか。センスのよし悪しという事は確かにあるとは思うのだけど。センスのいい音楽、センスのいい映画、センスのいいお店、センスのいいお宅、センスのいいインテリア、センスのいい暮らし。センスのいい暮らし???どうも個人的にはそれがスタイルの話だけになった時に違和感を感じるようだ。もしくは評価する上で不可欠である、大切な、「何の」センスがいいのかというその対象が明らかにされていない事に対する違和感なのかもしれない。
どこのご家庭にもありそうな、実際結構な確率で存在するであろう木彫りの熊。ご存知、北海道の民芸品。仕入れ先の市場でも本当に良く見かける。海外では需要があるようだが、日本国内で中古での需要はほとんど無いらしい。でもたまに「これは!」とグッとくる熊がいて、連れて帰ってくる。この2頭も個人的なお気に入り。基本的に動物モチーフ好きなので、この手の熊だって見逃さない、いや、見逃せない。店頭ではやはり基本的にはほぼノーマーク状態なのだけど、たまに反応して下さるお客様がいらっしゃると「わかってくれて嬉しいっす!」って感じで本当は抱きついてしまいたくなる。もちろん我慢してるけど(冗談ですよ。ご安心下さい)。
センスがいいとか悪いとか、人は時々口にするけど、その本質はどういう事なんだろうか。センスのよし悪しという事は確かにあるとは思うのだけど。センスのいい音楽、センスのいい映画、センスのいいお店、センスのいいお宅、センスのいいインテリア、センスのいい暮らし。センスのいい暮らし???どうも個人的にはそれがスタイルの話だけになった時に違和感を感じるようだ。もしくは評価する上で不可欠である、大切な、「何の」センスがいいのかというその対象が明らかにされていない事に対する違和感なのかもしれない。
インプット、アウトプット [日記]
先日久々に上野へ。お目当ては「写楽」展。平日午前中だったが想像以上の混雑ぶりに心が折れそうになりながら、それでも興味深く見てきた。実際に足を運んでモノを見ると、肉体感覚として体に入ってくるからいい。そして所有するとさらに体に入る。商売として扱うモノも実際に一度購入(仕入)する訳で、未開拓の分野のモノも所有することで自分の中に入ってくる。そうすることで分かることは想像以上にたくさん有るような気がする。商品として扱うモノならばそうやって自分にインプットする目的は明確だ。では写楽の作品のような芸術や美術とされているモノを見る、その目的は何だろうか、と考えていた時期があった。