個人的体験 [日記]
こういうときだからこそ、パッションに溢れた音楽が効きたくなる。最近心に響くのは故Steve Marriottのギターと歌声。普段は暑苦しくも思う、情熱がこもりまくった歌声と歪んだギターでエネルギーを補充する日々。まだ初々しさも残るSmall Facesの初期のアルバムからもそのパッションは溢れ出ている。
音楽鑑賞も映画鑑賞も読書も個人的な体験。ごく個人的な体験。だから感想はそれぞれだし、心に響くポイントもそれぞれだ。僕にとって信頼するに値する音楽、映画評論家が数人いるが、それぞれで評価が全く違う事も時々ある。さらにその人達と自分の評価にも大きな差が生じたりする。でもそんな事、当たり前だ。すべてが同じ方がおかしい。気持ち悪い。それぞれが過ごしてきた場所、経てきた経験、読んできた物、見てきた物が違えば、感じ方が違うのも当然。気を付けなければいけないのは、視野の狭さだけだ。縦軸と横軸が短いが故の齟齬であれば長くする努力は絶対に必要だ。でも角度の違いだけであれば構わないと思う。
スタンス [日記]
シックな色の紫陽花はいつだって好きな花。
地震発生から10日。だんだん周辺の街は平穏な表情を取り戻しつつあります。これで福島の原発が安定を取り戻し、ガソリンの不足が解消されれば東京ではいつもと変わりない日常にぐっと近づく事でしょう、停電の問題を除けば。多くの方が感想として持っておられる通り、普段が明るすぎるんですね。節電で少し薄暗い街になんだか妙な居心地の良さを感じてしまいます。もちろん暗すぎると防犯上問題があったりするでしょうから、丁度いい案配を考え直すきっかけになったら良いな、なんて思います。とにかく目立たせる為に明るく派手に!なんてのは個人的にはまっぴらです。
被災地への義援金の動きも活発になってきました。売上の何%かを被災地へ、というお店も多いですね。当店は?
2011年もどうぞよろしくお願い致します。 [日記]
「卯」はモチーフとして可愛らしいので扱いやすいですよね!来年の「辰」はややハードルが高そう…。
やや遅ればせながら、皆様、あけましておめでとうございます。2011年です。平成23年です。最近自分にしっかりと言い聞かせないと、何年だかしばらく考えてしまったりもします。当店は5日から通常営業開始しております。早くも新商品も入荷しておりますよ。
本年もどうもありがとうございました。 [日記]
フランスのアンティークデスクとイギリスのアンティークチェア。上に乗っているのはスコットランドの陶器の牛と、アメリカの木彫りのバッファロー。ちょっと好きなコーナーです。
今年も本日で店舗の営業は終了致しました。この1年間も沢山のお客様にご来店頂きました。本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。またブログのアクセス数も開店当時に比べると約6倍の数字となりました。ブログをご覧頂いた皆様にも心からお礼申し上げます。どうもありがとうございました。
今日、今年お買い物をして頂いた皆様の伝票をぱらぱらとめくり返したりしていました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。お客様の顔を思い浮かべながら、例年以上にしみじみとしてしまいました。なんだか、幸せな時間でした。
今日はすごく寒いですね。雪国の皆様は大変かと思います。お体に気を付けて、皆様良いお年をお迎え下さい。本当に1年間どうもありがとうございました。そして来年もどうぞよろしくお願い致します。
盤が先か石が先か [日記]
素敵なお帽子ですね、お嬢さん。
しつこく昨日の続き。仕入れた荷物を取りに車を運転している間に思いついたので。
体験を通して盤が大きくなり、石が置かれる。やはりその両方が大事なのだろうと考える。思考しているだけでも、体験しているだけでもバランスが悪い。
体験に基づかない思考は危うい。そもそも盤も石もなければ白と黒をひっくり返す事すらできない。自分自身で体験できる事は少ないが、他者の体験や経験を覗かせてもらう事はできる。それが音楽を聴いたり映画を見たり本を読んだり買い物をしたり会話を交わしたりするという事。
盤を広げて石が並べられても模様を描く事はできない。体験や経験を通してばらまかれた自分の感情を「言葉」として説明できるように整理していく。その行為を「思考」と呼ぼうと思う。そしてその思考に基づき、オセロ的石の配列を始める。
もしかしたら先に石を持っていて、早く並べてみたくてしょうがなかったり、ひっくり返してみたくてしょうがなかったりするのかもしれない。盤が先でも石が先でもどちらでも良いのだ。
体験も思考も両方あって始めてゲームは成立するのだ。「好き」と「嫌い」の話ではないが、白が黒に、黒が白に変わっていく事をためらったり恐れたりしてはいけない。
人生オセロゲーム説 [日記]
雲と同じ目線。
12月1日に観た2本の映画にはかなりやられた。良くも悪くも。その2本とは「ハーブ&ドロシー」と「シングルマン」(ちなみに「シングルマン」は2度目の鑑賞)。前者はモダンアートコレクター老夫婦のドキュメンタリーで、後者はファンタジックな文学作品という、全く違うタイプの映画だったのだが、その奥に流れるテーマは通じるものがあると感じた。詳しい内容には触れないが、僕にとっては、どちらも「真のコミュニケーションこそが、生きる喜びに通じる鍵を持っている」というテーマを抱えている映画だと感じられた。本当に心を震わされた。「悪くも」というのは、心を揺さぶれるといままで持っていた価値観を更新せざるを得ないから。まあ決して「悪く」はないのだが、少々面倒くさい、という意味で。
態度表明するという事 [日記]
朝の赤岳。山頂でほんの少し東の空が明るくなってきた頃から、太陽が完全に顔を出すまでしばらく空を眺めていた。雲は夜の間に低くなり、雲海が一面に広がる空が徐々に明るくなる様子を見ているのは飽きないものだ。
自分でも「好き」と「嫌い」がはっきりしている性格だと思う。食べる方の好き嫌いはほとんど無いのだが、その他の事に関しては、「これはいい!」と思ったり、「なんか嫌だな…。」と拒否反応を示したくなる事が多い。でも「好き」とか「嫌い」と感じるという事は、間違いなくその対象物に関心があるという証拠。関心がなければ「好き」も「嫌い」もない。そう、気になっているのだ。
「どうでもいい」の加減 [日記]
今年の梅雨から初夏にかけては、「きれい」というよりもちょっと「こわい」と感じる夕景を見る事が多かった気がする。いつになく暑かった気候のせいだろうか。
こんなふうにブログに日記を書くのは久しぶり。Twitterをはじめるとブログの更新頻度が落ちる、というのはやはり自分にもあてはまってしまった。日々いろいろな事をつらつらと考えていたのだが、ツイートと共にどんどん過去へと消えていく(ちなみにツイートの事を自己完結的イメージの「つぶやき」と訳すのは嫌い。直訳すると「さえずり」である。みんな誰かに聞かせたい訳だから)。そんな日々のやり取りが楽しくもあり、あまりにも早く流れていってしまうので、「考えた事」が残っているのか一緒に流れてしまっているのか、今ひとつ実感出来ないままでいたりもして。
世の中に本当に大切な事なんてそんなに多くなくて、ほとんどの事は別に「どうでもいい」事なのかもしれない、と思う事がたまにある。
雨の陣馬山〜高尾山 [日記]
久々に山を歩いてまいりました!今回は、中央線の藤野駅〜陣馬山〜高尾山まで。その記録です。
藤野駅を降りてから舗装された道路を進み、陣馬山への登山道入り口。11:00着。
湿度は高め、気温は20度前後。やや重たい空気を感じながら、約2時間程で陣馬山に到着。数名の登山者と出会う。昼食の準備をしている頃から雨が…。昼食後、上だけレインウエアを着て出発。少し道を間違えてタイムロス。急坂を下った後気付くと言う、痛恨のミス。なんとか元の位置にまで戻った頃には雨脚がやや強くなり、レインウエアのパンツも履く。
藤野駅を降りてから舗装された道路を進み、陣馬山への登山道入り口。11:00着。
湿度は高め、気温は20度前後。やや重たい空気を感じながら、約2時間程で陣馬山に到着。数名の登山者と出会う。昼食の準備をしている頃から雨が…。昼食後、上だけレインウエアを着て出発。少し道を間違えてタイムロス。急坂を下った後気付くと言う、痛恨のミス。なんとか元の位置にまで戻った頃には雨脚がやや強くなり、レインウエアのパンツも履く。
「楽しさ」の源流 [日記]
新緑が眩しい季節。桜の花が散った今くらいの季節の若葉の柔らかい緑色は本当に好き。仕入れに行く時に通る、多摩丘陵のこの道にも若葉がいっぱい。桜が満開の時期よりも、個人的には、この若葉と桜のバランスが取れている風景の方が心に染み入る。
桜の代名詞的存在である「染井吉野」の花があまり好きでなくなったのは、京都の桜守、佐野藤右衛門の言葉に触れたから。正確に言うと、何となく感じていた「桜」に対する違和感の元を、桜のエキスパートである佐野氏に正確に教えて頂いた、という事。
知らなければ気楽に楽しむ事が出来た物事も、事実を知ってしまう事で考え込んでしまい、気軽に楽しめなくなってしまうという事は、染井吉野の例だけでなく、きっと他にも色々存在するだろう。