SSブログ

山を歩きながら考えた事 [日記]

DSCN5129.jpg

霜柱さえも珍しい光景になってしまった自分。

DSCN5127.jpg

陣馬山から高尾山までは約19キロの山道。

先日の山歩き中にぼんやり考えていたこと。おそらく今の山登りの道具は相当進化していて、軽量、コンパクトになり、一昔前に比べて手軽に山歩きを楽しめるようになっていると思う。それでも、そこそこにきつい。とはいえ、自分の脚以外の交通手段などほとんど無かった時代の人達は、どこでも歩いて行ったのだろうし、山の多い日本、その足腰の強靭さは現代人の比ではなかったであろうと思う。それを考えると、自分を含めて、現代人の生き物としての生命力はだいぶ弱くなっているんだろうな、などとも思い、一瞬今のそんな状況を憂いてみたくなる。でももう少し考え続けてみる。

移動が楽になったという事は、体力的に、男性に比べると平均的にはハンディのある女性、体力のそれほど無い人々、体の不自由な人達にとっては、かなり自由度が増したということ。それは喜ばしい事であり、その獲得された自由の前では、体力的に問題の無い人間の懐古的なだけの「昔の人は偉かった」話など何の意味もなさない。

というように、一つの現象に付いて考えただけでも、見る側面を変化させるだけで、また違う見方や考え方に行き着くものだ。単純な2項対立ですませる事の出来る事柄なんてほとんど無いはず。でも、考え続けて行くと、どんどん思考の無限ループにも落ち込んで行きそうになる。その中で、微妙な所のバランスを取る事こそが大事なんろう、おそらく。結局、そのバランス感覚が難しいのだと思うけど、そのコツは案外人間が積み上げてきた歴史の中にこそあったりするのかもしれない。日々の生活の中で積み上げられた価値観や、知恵の中に。

DSCN5133.jpg

景信山頂からの富士山。
なんだか、とりとめの無い文章になってしまった。
nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:インテリア・雑貨

nice! 1

コメント 2

ユキエ

こんにちは。時々古家具を購入させてもらっている者です。
ーー
そうですね。蘇我入鹿とか山こえて毎日大化の改新の相談にいってたし(小説家氷室冴子さんがエッセイで書かれています)、
幕末の文科系の人は本当によく歩いて地方の人と学問の知識交換をよくしてるんですよね(吉田松陰や大村益次郎の司馬遼太郎小説をよみました。九州から東北までよく歩いてます)
文科系=ひ弱という図式はなりたたなかったんだなと思いました。
 交通網の発達は、大型店のみの独走を許さない効果があると思います。アメリカではウォルマートという大きなスーパーが地域の小型店を閉鎖においこみ、そこでしか買えなくするやり口が問題になっています。日本の場合、土地がせまいこともあり、その大型店がいやな場合は電車使って他の地域の小型店にいけるのが、大型店の進出を遅らせていると思います。
もちろん、大型店が小型店を追い込む現象は日本にもありますが、他の国より大型店有利ではないと思います。
 国立はいろんな店がいっぱいあるので遊びにいくのが楽しいです。こういうのっていいですね!
by ユキエ (2009-12-27 05:23) 

hara_taka

ユキエさん コメントどうもありがとうございます。そうなんですよね。やはり「歩く」って言う事は人間にとっては基本的な行為ですからね。歩かなくても大丈夫な事はいい面もありますが、やはり歩けるうちは意識的にもっともっと歩いて行こうと思います。年明け早々にもまた山に行こうかな、なんて思っています。

個人商店は、それぞれの店主の思いが直接色濃く反映されるので、やはり楽しいですよね。国立北側にも、また増えそうな噂も聴いています。また遊びに来て下さいね!
by hara_taka (2009-12-29 22:20) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。