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何故こんなただ古臭いだけの物に惹かれてしまうんだろう。 [小物]

 
日本の物でしょうか、古い汽車のおもちゃ。2両編成ですが、連結器有りません...150系(?)です。

 
古い汽車のおもちゃ、其の2。こちらは573系(?)です。

何の蘊蓄も有りません。ただの古いおもちゃです。しかも塗装も傷んでいて、正当な評価の対象にはなり難い物でしょう。でも見つけた瞬間妙に引き付けられてしまい、仕入れてしまいました。これがきれいな状態だったら、何にも感じないんだろうな〜。世の中には、時代を経ているという事ただそれだけで説得力を持つ物が確実に有る様な気がします。そうやって存在して来た、という事実が、ある種の意味を持ち始めるのでしょうか。

まあ考えてみれば、価値というのは人間が勝手に造り出すというか、感じる物であって、つまり時代をくぐり抜けて来た古い物を見て、そこに何かを感じる種類の人間が確実にいる、という事なんでしょう。でもそれには個人差が有り、古い物をただ「古い」としか感じない人がいるのもまた事実ですよね。ただ、こんなつまらない古い物を見て、そこに魅力を感じる人間が現れたというのは、ここ10年位の事で、それは人類史上初の事ではないでしょうか。もちろん、今までも骨董好きの好事家という人達は確実にいた訳ですが、その評価の対象になりうるのは時代性であり、作家性であり、希少性であり、技(仕事)に対する評価であり、状態であり...当たり前ですが、そういった世界とこの汽車に感じる魅力とは、100%では無いにしても別の次元の話の様な気がします。おそらくこの汽車は古く見積もっても40〜50年くらいしか時代は無いでしょう。でも考えてみれば、今生活している世の中、特に都市部ではたかが40〜50年くらい前の時代の空気がほとんど感じられませんよね。そんな時代は人類史上、今が初めてではないでしょうか(だからレトロブームだったりするんでしょうけど)。じつは人類は、そんなに早い環境の変化に本当は付いて行けてないのでは無いか、だから古臭さを見て、どこか安心しているのではないか、と思ったりもするのです(昔は良かった的な、ただの懐古主義は大嫌いですが)。実際、自分はそうなんだろうな、と思います。こんな汽車に魅力を感じ、別にどうという事の無いおもちゃですが探すとなかなか見つけられない、というのもなんだか悲しい話の様な気がします。でも、そうやって次から次へと古い物を捨てて、新しい物を手にし続けなければ成立しない経済の仕組みになってるんですよね。それも色んな意味で限界に達している様な気もしますが、そんな事は口に出来ませんよ、スポンサー様の御機嫌を損ねますから、と、大マスコミ。ちょっと、ただの汽車のおもちゃから話が大きくなり過ぎました...

ヤフオクではこの魅力をお伝えするのは難しいので、店用の在庫にとっておきます。


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