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「どうでもいい」の加減 [日記]

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今年の梅雨から初夏にかけては、「きれい」というよりもちょっと「こわい」と感じる夕景を見る事が多かった気がする。いつになく暑かった気候のせいだろうか。

こんなふうにブログに日記を書くのは久しぶり。Twitterをはじめるとブログの更新頻度が落ちる、というのはやはり自分にもあてはまってしまった。日々いろいろな事をつらつらと考えていたのだが、ツイートと共にどんどん過去へと消えていく(ちなみにツイートの事を自己完結的イメージの「つぶやき」と訳すのは嫌い。直訳すると「さえずり」である。みんな誰かに聞かせたい訳だから)。そんな日々のやり取りが楽しくもあり、あまりにも早く流れていってしまうので、「考えた事」が残っているのか一緒に流れてしまっているのか、今ひとつ実感出来ないままでいたりもして。

世の中に本当に大切な事なんてそんなに多くなくて、ほとんどの事は別に「どうでもいい」事なのかもしれない、と思う事がたまにある。着る物も食べる物も生活する道具も、何が良い物なのかっていう価値観なんてどんどん変化してゆくし(もちろん人それぞれでもあるし)、2010年の今、「良い!」と評価されている物や事も10年後にはどんな評価になっているかは分らない。情報も氾濫しているし、みんなそれなりに立派な理念を掲げてもっともらしい事を語ってみたりもする。何が本当で何が嘘か、誰が本当の事を言っていて、誰が嘘つきなのか、よく分らなくなる。そもそも、自分が本当の事を語っているのか嘘をついているのかさえ自覚する事さえ難しかったりするのかもしれない。そんな事を思うと、まじめに取り合うのがバカバカしくさえ思えたりする事もある。いや、まじめに考える事がバカバカしいのではなく、誰かがもっともらしく、真実らしく、一大事みたいなスタンスで語る言葉をいちいち真剣にとらえる事が。それよりも、何が自分の心に本当に響いてきて、取捨選択を助けてくれ、その後の良い結果を導いてくれるのか、それを自分の感覚で判断していく事、それがだけが大切なのかもしれない。もちろん、そんなに簡単な事では無いと思うが。

良い結果とはなにか?正直で誠実で、かつ他人に幸福感を与え、住んでいる、あるいは仕事をしている周囲の環境を悪くしないこと。そういった事で、自分が幸福感を感じること。それ以外には無い。継続する喜び。そう考えると、ほとんどの事はどうでも良くなってしまう。普通の物で良くなってしまう。別にハイビジョンテレビも3Dテレビもいらないし、高すぎる家具も、安すぎるけど時代感だけはとらえている服や家具もいらない。別に古い物だけが良い訳ではなく、かといって新しければ良いって物でもない。どっちでもいい。リンゴの会社の様々な新製品も、必要か必要でないかと言われれば、決して必要な物では無い(どんどん勝手に必要な物にされてしまうだけで)。サッカーでどこの国が勝とうが関係ないし、どのチームが野球で優勝しようが、水泳で誰が一番になろうが別にどうでもいい話だ(もちろん極論だけど)。

色々な物にこだわりすぎると、なんだか縛られてしまって、あまりろくな事は無いと思っている。自分の身の回りにある物や会話を交わしている人達の中に、今まで見つける事の出来なかった魅力的な何かを見いだす事、その為に自分の視野や思考のフィールドを広げてくれるような体験や経験は大切であるし、生きていく上である程度の楽しみはなければ味気ない。でもそれ以外のプラスα的な要素なんて、身体に悪過ぎない物、一般的感覚からかけ離れすぎていない物であれば別にどうでもいいんじゃあないの、なんて思ってしまったりする。

世間の評価なんて当てにはならない。そんな当てにならない物を信用しても意味がない。参考程度にはしても、それを信じすぎない方が良いのは間違いない。批判しているのではない。しょうがないんだと思う。構造的に仕方がないんだ。仕方なくも出来るかもしれないが、それは政治家とか官僚とか大会社の社長さんとか、誰かがそうしてくれる事では無い。色々な事は世間の顔色をうかがって決められているだけだ。どうせ勝ち馬に乗ってもすぐに振り落とされる。勝ち馬に乗る事を狙うのではなく、どんな馬であろうが、自分の目が届く範囲から、自分が乗れそうな馬を自分で選び、自分の乗った馬を上手に乗りこなす事だけを考えれば良いのだと思う。そうそう、岡田ジャパンの戦いっぷりと世間の激変っぷりを見ていて、そう確信した。とにかく自分の感覚を信じること。自分とじっくり対話すること。岡田氏も選手達もそれを貫いたのだと思う。

「どうでもいい」という前提があって、その上で、こだわれる範囲でこだわる。そんなスタンスで十分だ。少なくとも僕にとっては。
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コメント 4

あまの

ひさしぶりの長文ですね(笑)
  
「どうでもいい」下の子の口癖(笑)
若い投げやりの物言いではなくしょうがないんだから
全部ありが前提の「どうでもいい」

今の30代はそのどうでもいいを体感していてマイペースに生きることを
選んでいる気がする。
だけどその親世代、60代がその価値観をかえることができず、
自らの命を絶っていってしまっている。
時代の流れってもんは人を左右してしまうんですね
だからこそ「持続」が大変で大事で

>自分の乗った馬を上手に乗りこなす事だけを考えれば良いのだと思う。

これからの世の中、乗り切る要領も必要ということでしょうか
by あまの (2010-08-25 13:04) 

mooi

みうらじゅんさんが人生なんて死ぬまでのひまつぶしにすぎないって言っていたことを思い出しました。
by mooi (2010-08-28 14:11) 

hara_taka

あまのさん もちろん「どうでもよくない」こともいろいろあります。でも、けっこう「どうでもいい」ことが多いように思います。で、「どうでもよくない」事をなおざりにしている、というか。

その前提に立った上で、何かにこだわる。だから、いざとなったら切り捨ててサッと身軽になれる。そんなスタンスが良いなあ、と思ってしまうんですよね。

自分がどんな馬だったら上手に乗りこなせるかをまず知る。その為に色んな馬に乗ってみる。で、そこがある程度分ったら、他人の馬をいたずらにうらやましがったり流行の馬に乗り換えたりせずに、自分の乗った馬をいかに上手く乗りこなせるか、そこに集中すればいいのかと。それはそれでストイックさが求められますが。

でも、そう思うことが出来たら気が楽になったり、争い事の種が無くなったりするかな、なんて思います。僕もまだまだ修行中ですが。



by hara_taka (2010-08-29 18:35) 

hara_taka

mooiさん 僕もそのフレーズ、結構好きなんです。深いです。みうらさんは結構仏教的な思想が入ってると思います。侮れないです。どうせひまつぶしなら楽しい方が良いし、つまらないことにこだわって窮屈になる事も無いですよね。そんなスタンスだからこそ、みうらさんも「マイブーム」的に色々な事を追求出来るのだと思います。
by hara_taka (2010-08-29 18:42) 

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